旅行ブログ(第6回 飛んでイスラエル編 後半​)

「飛んでイスラエル編 後半」をお送りします。


<3日目>
今日は死海に行って、夜に再度エルサレム旧市街を観光する予定です。
まずは朝起きて早速ホテルの朝食会場へ行きました。ホテルでの朝食は海外旅行の一つの楽しみです。


あまり日本では見かけない食材がありますね。


昨晩の夕食は食べなかったため、お腹が空いていており山盛りです。日本でもイスラエル産のグレープフルーツを時々見ますが、温暖な気候でグレープフルーツや柑橘系の果物栽培が盛んです。朝食もグレープフルーツやオレンジを一杯食べてみましたが美味しかったです。

朝食を食べ終えたら、いよいよ死海へ行きます。
今回は滞在日数がほぼ2日間と少なく、エルサレムとテルアビブ観光だけで2日間を使うことで死海には行けないと思っていたので、当初死海に行く予定はありませんでした。しかし、昨日両都市の観光は終わったことで急遽死海に行く事に決めました。死海までの行き方をネットで調べるとエルサレムのバスセンターから1時間に1本くらい死海方面のバスが出ていることが分かり、とりあえず9時発のバスに乗る予定です。


エルサレムのバスセンターに到着です。窓口でバスのチケットを買いますが、昨日鉄道駅で「Rav-Kavカード」(=イスラエルのSUICAのようなICカード)を購入しており、ネットで調べるとそのICカードを持っていると1日乗車券をそのICカード上に買えるとの情報があったため、窓口でそのICカードに1日乗車券を入れてもらいました。普通に買うと死海まで片道40シュケル(=1600円)ですが、1日乗車券は32シュケル(=1280円)という謎の料金体系です。


乗車口前で待ちます。


バスが来たので乗り込みました。半分くらいの乗車率です。ここから死海のビーチまでは約110km、2時間くらいの距離です。バスは9時ちょうどに出発しました。


死海まではずっと下り坂です。バス出発地のエルサレムは標高750mであり、死海は標高が(マイナス)ー430mで世界で一番低い地上です。その為標高差が約1200mもあるため死海までずっと下り坂です。そしてさらに驚いたのが、バスはパレスチナ自治区の領域内を通過して死海に行くのです。パレスチナ自治区に行くと出国審査時に厳しく追及されるという情報を見たので行かないつもりでしたが、バスが通過しているのであれば仕方ありません。パレスチナ自治区はA地区(治安行政ともにパレスチナ自治政府)、B地区(治安イスラエル・行政パレスチナ自治政府)、C地区(治安行政ともにイスラエル)という3地区に分かれています。バスが通過しているのはC地区なので、領土はパレスチナ自治区なのですが支配しているのはイスラエルという地域であるためバスが通ることができるようです。エルサレムから死海へのルートは、イスラエル=>パレスチナ自治区=>イスラエルというルートとなります。バスの車窓からはパレスチナの大きな分離壁や、パレスチナ人が住んでいると思われるプレハブやバラックの家が目に留まります。来てみてわかるパレスチナ問題の現実に色々考えさせられます。




1時間ほどで死海が見えてきました。ここから目的地のビーチまでさらに死海沿いに1時間ほど走ります。死海の面積は605㎢、琵琶湖は669㎢ということで琵琶湖に匹敵するほどの大きさです。バスはここから湖岸沿いの片側1車線の道をかなり飛ばして行きます。カーブも多く日本だと法定速度が40kmくらいの道ですが、あまりにも飛ばすのでアプリでスピードを見ると時速100kmでした。安全に目的地に着いてくれと願うばかりです。


バスが快調に走っていると、急に途中で兵士が多くいるチェックポイントに停車しました。そうすると若い女性兵士2人がライフル銃を持ったままバスに乗ってきました。何事かと思っているとバス車内をくまなくチェックし、前方にいた人は全てスルーし私の前席に座っていた若い男性にIDの提示を求めました。男性は運転免許のようなIDとスマホに入っているIDの両方を提示して見せました。私はパスポートを携帯していましたので次は外国人である私の番だと緊張が走りましたが、その男性の確認が終わった後、女性兵士たちはバスから降りていきました。後で調べてわかったのですが、ここはパレスチナ自治区=>イスラエルの境界で、パレスチナ人がイスラエル側に行く場合はテロリストを防ぐために厳しいチェックが行われていることが分かりました。私の前の席にいた男性はこのバス唯一のパレスチナ人だったようです。


ようやくエルサレムから2時間ほどで、目的地の街であるエン・ボケックが見えてきました。


バスを降りました。前述のように死海の標高は-430mのために世界中のどこよりも酸素濃度が高いそうです。またこの地域では蒸発した水分がフィルターとなって紫外線がほとんど届かないので、日焼けをあまり気にする必要がないということ。バスを降りて酸素濃度が濃いかあまり違いが分からずでしたが、日差しがまぶしく快晴で30度くらいはありました。とりあえずビーチを目指して少し歩きます。


着きました「死海」!!英語で「DEAD SEA」ってそのままじゃん!って苦笑しました。




多くの人が死海に入っています。塩の結晶も見えます。




やはり浮いている人も多くいました。
当初、死海は来る予定がなかったため水着も持っておらず見るだけで帰ろうと思いましたが、たぶん2度と来ない場所であることから自分も入りたくなり、急遽近くのショッピングモールで水着を購入し入ることにしました。近くの更衣室で着替え、いざ死海に入ってみたところめちゃくちゃ浮きました。(1人旅なので自分が浮いている写真はありません。)
水をなめてみたところ、かなり塩っぽくまるで濃い塩水をなめているようでした。一般的な海水の塩分濃度が約3%であるのに対し、ここ死海は約30%と10倍の塩分濃度です。少しでも傷口があるとしみますし、傷口がなくても長い間入っていると体が少し痛くなってきますので、5~10分ほどの入浴が限界です。


5分 x 3本くらい入浴したところ満足したので、ビーチにある無料シャワーで身体に着いた塩分を充分に落とします。この後着替え、再度来た道をバスで戻る予定です。


バスが来たのでエルサレムまで帰ろうと思っていたのですが、行きのバスの途中でロープウェイが見えたので、その場所をネットで調べるとマサダ要塞遺跡という世界遺産で景色も良さそうなので途中下車することにしました。死海から10分ほどで到着です。バス停から少し歩きロープウェイ乗り場に到着です。砂漠の丘の上にある要塞ですが、行きはロープウェーで帰りは歩けるようなので歩いて降りてくることにしました。


ロープウェーに乗り込みます。


ロープウェイから見た眼下の景色は素晴らしい景色です。奥には死海も見えます。


約5分ほどで頂上に到着です。死海の向こう側に見える陸地はヨルダン領です。




ここマサダ遺跡は、紀元前120年頃建設されその後ユダヤを支配していたヘロデ王が増築されたとされる要塞遺跡です。紀元73年にローマ帝国の支配下にあったユダヤ王国が反旗を翻し最後に残った約1000人が2年以上も籠城した砦で、結局最終的に滅ぼされてしまったのですが、ここからユダヤ人離散の歴史が始まりました。そのためこの遺跡はイスラエル人にとって特別な場所であり、マサダの件を忘れないという思い(=イスラエル・ユダヤ人を絶滅させない)も現在の中東問題・パレスチナ問題に繋がっている一因と言えます。




遺跡越しの死海。右上のほうに奥の方向に向かう細い中州がありますが、あそこはイスラエルとヨルダンの国境です。


今まで旅した中でも、まさに指折りの絶景です。


30分くらい遺跡を見て、ここから徒歩で下に降りていきます。行きはロープウェーでしたが帰りは徒歩で帰ることにしました。


このような道と砂利道を歩いて、通常ふもとまで約1時間ほど掛かるようです。バスが1時間に1本しかなく、この時点でバス出発時刻まで1時間を切っておりかなり急いで降りることにしました。


ちょうど中央地点くらいまで来ましたが、何せ直射日光で約30度くらいあります。上ってくる人も数人すれ違いましたがかなり苦しそうです。グーグルマップでバスの出発時間を確認したところ、乗る予定のバスの出発予定時刻も表示され何と10分近い早着との表示が、、、。バスのGPSとグーグルマップが連動していることも驚きですが、それより日本では考えられない予定時刻より早い出発。ここから競歩に近い状態でバス停まで降りていきました。


何とかバス停にたどり着いて、数分後にバスが来ました。本当に時刻表より約10分早く出発しました。時刻表より遅れることは海外ではよくあるのですが、公共交通機関が10分も早く出発するとは???日本ではニュースになるくらいなのに文化の違いに驚きです。


エルサレムに帰ってきました。バスが到着するエルサレムバスセンターを降りると治安部隊のチェックポイントがあり、私はノーチェックでしたが、そこでパレスチナ人と思われる男性が兵士からID提示を求められており、持っていないことで治安部隊と揉めているのを目にしました。これはパレスチナ自治区から乗車したパレスチナ人が降りてエルサレムに入るためにイスラエル治安部隊がチェックしているようです。エルサレムの街中でテロを起こす可能性もあることからのチェックなのですが、ここに来てわかる現実のパレスチナ問題です。


ホテルの最寄り駅までトラムで戻りました。この後はホテルで一度休憩し、夜のエルサレム旧市街に再度行く予定です。




ホテルで休憩して、夜の旧エルサレム旧市街を探索です。写真は新市街の街並みですが画になりますね。


旧市街の城壁が見えてきました。


城壁もライトアップされてきれいですね。


城壁の中に入って、まずは聖墳墓教会のほうへ歩いて行きます。昨日は教会にあるキリストの墓に人がかなり並んでいたことで入場を諦めたのですが、今回は入れるでしょうか。


聖墳墓教会に到着しました。中に入ります。


昨日も来ましたが、キリストの体を置いて聖油で清めたとされる石板です。


キリストの墓まで来ましたが、昨日より人は減ったもののすごい行列です。しかし今後来ることがないかもしれないので並ぶことにしました。


結局この入り口にたどり着くまで、1時間ほど掛かりました。


キリストの墓です。周りのキリスト教の殉教者の方は十字架を切ったり、十字架を胸に祈っておりました。
この後は夜の嘆きの壁を見に行きます。

嘆きの壁に行く小道の途中で、パレスチナ人とみられる男性がイスラエル兵数名に手錠をかけられて連行されているのを目撃しました。イスラエルに2泊しかいないのですが、何回も現実のパレスチナ問題を見させられます。今回理解したのは「過去にユダヤ人が世界中に離散し、各地で差別を受けてきたが、2000年ほどの時を経てようやく1948年イスラエル建国により自分たちの国を持てた。その自分たちユダヤ人の国を頑なに守るために、元々住んでいたパレスチナ人・アラブ人を制圧する側に周るようになった」ということですが、ユダヤ人のこの強い思いはナチスのホロコーストをはじめ過去のユダヤ人差別が大きく影響している事や、このパレスチナ問題は昨日今日の問題ではなく2000年ほどの歴史があるが故に根が深い問題である事が理解できました。


嘆きの壁にやってきました。18:30くらいですがライトアップされており幻想的です。



黒い大きな帽子をかぶってひげを伸ばしたり長いもみあげをツイストさせているユダヤ教の超正統派の方も多くお祈りしています。




嘆きの壁を守るライフル銃を持ったイスラエル兵です。こういうライフル銃を持った兵士が街中を普通に歩いていたり、電車に乗ったりしています。この後はイスラム教の聖地「岩のドーム」に行こうと思ったのですが、時間外のようで入口が閉まっていたので諦めました。


旧市街の商店街を抜けホテル近くまで戻ります。この後は近くのレストランで夕食を取ります。


目星を付けていたホテル近くのステーキレストランに来ました。


「とりあえずビールで!」今日も結構歩いたので喉がカラカラです。めっちゃうまそう!!
食後はホテルに戻り、早めの就寝となりました、

<4日目~5日目帰国まで>
いよいよ今日は帰国する日です。


朝起きて外を見たところ朝焼けが見えました。
帰国便は14:20発ですが、テルアビブ空港は出国審査に時間がかかるとのことなので3時間前チェックインが推奨されています。別室送りになったとの日本人のYoutubeなども見ていたため、4時間前には空港に行こうと思います。


トラムに乗って、エルサレムの列車駅(Jerusalem-Navon)に到着しました。この駅は世界で一番深い駅と言われ地下90mまでひたすらエスカレーターで下ります。有事の際の核シェルターも兼ねているようです。

この後列車で空港まで25分ほどで到着しました。空港に着き出発階へ移動すると航空会社カウンターの手前にブースがありすごい行列が、、、。これが噂の出国審査かと思い並びました。ブースが2つしかなく30人以上が並んでいました。並んでいるうちに係員と乗客とのやり取りをずっと見ていましたが、1人あたり平均5分ほどは質問されています。見ているだけで何を話しているかは聞こえませんが、ネットなどの情報を見るとテロやハイジャックを防ぐために、イスラエルのどこに滞在したのか、どこに行ったのか(細かく)、イスラエルで知人に会ったのか、荷物は誰かに渡されてないのか等、過去のイスラム教国の渡航歴等、かなり詳細を聞かれるとの事。ずっと見ていると夫婦と思われるおそらくインド系の2人が、それぞれ2つのブースに離され別々の係員から質問されています。これは夫婦に対し同じ質問を別々の係員からすることで夫婦の回答に差異がないかを確かめているようです。この夫婦は20分以上質問されていましたが、その後も凝視しながら色々な人の様子を見ていると歩いて周っていた係員から急に質問されました。「イスラエルに来た目的は?」「サイトシーイング」と答えたら、わかったという感じですぐに行ってしまいました。今までで一番緊張感がある出国審査です。そんなこんなで1時間ほどでようやく自分の番が回ってきました。始めは若い女性係員が対応する予定でしたが、PC画面をチェックするとすぐに後ろの上司と思われる男性にチェンジしました。「何で上司みたいな人にチェンジしたの?やばいなぁ、、、」という心持ちながら、質問が始まりました。まず最初に「イスラエルに来た目的は?」「サイトシーイング」、「これからどこへ行くの?」「日本に帰ります」、「この荷物は誰かにパックしてもらった?自分でパックした?」「自分です」、係員「分かった。行っていい。」、へっ???まさかの30秒で終わりました。30人以上全員見ていましたが、最低でも3分以上質問されており長い人で20分以上つかまってました。30秒で終わったなんて奇跡です。すごい質問されたという日本人の情報なども多かったためなぜ自分が短かったかは不明です。とりあえずこれで無事に日本へ帰国できそうです。


手荷物検査場を通り抜けてゲート前までやってきました。


搭乗開始時間になったので搭乗です。


飛行機に乗ると行きと同じCAさんグループだったようで、行きで一緒だったCAさんから「あなたのことは覚えているわ、仕事ですか?」と聞かれました。いやいや観光です。2泊だけでイスラエル観光に行く東洋人などほぼいないので仕事と勘違いされたようです。


さようならイスラエル。


香港で乗り継いで、


無事、羽田に到着しました。

初めてのイスラエルでしたが、イスラエルは今まで行った世界各国の中で指折りで良い意味で期待を裏切られた国であり、心から行って良かったと思える国でした。個人的にかなりおススメの国です。

これで「飛んでイスラエル編」は完了です。
最後にイスラエルの良い点と、注意点を記します。

【イスラエルの良い点】
・エルサレムや死海など見どころや世界遺産がたくさんあり、かなりおすすめ。
・スリなどがほぼいなく、そういう意味ではヨーロッパより思っている以上に全然治安が良い。
・気候も温暖で観光に向いている。
・パレスチナ問題や中東問題、ユダヤ人差別問題等、現在の世界情勢や実情の理解が深まり見識を高めることができる。
・公用語であるヘブライ語は難しいが、イスラエルのほとんどの人が英語は堪能である。

【イスラエルの注意点】
・イスラエルとパレスチナ自治区との情勢に気を付ける必要がある。
・出入国審査に気を使う。
・物価が高い。日本の約3倍。

最後まで読んでいただき有難うございました!
【了】

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